2026.09.26 / ぶち上げインタビュー
【経営者インタビュー】「どうせいつか死ぬんで」——19歳、一通のDMから人生を動かしはじめた甲子園球児。野球スクール「笑耐夢」・西岡鼓哲さん

「どうせいつか死ぬんで。」 人生は一回きり。だからこそ、やりたいことには没頭してほしい。そう語るのは、まだ19歳の西岡鼓哲さんだ。 大阪を拠点に、小中学生を中心とした野球スクール「笑耐夢」を主宰する。週に一度、火曜日の夜、室内練習場に子どもたちを集め、バッティングから守備まで野球のすべてを教えている。並行して不動産買取の訪問営業にも打ち込む、二足のわらじの毎日だ。 天理高校で春夏の甲子園に出場。強豪校のなかで背番号を追い続け、停学、そして本番直前の骨折という挫折を味わった。しかし「諦めないこと」を野球から学び、夏の甲子園でメンバー入りを勝ち取る。大学進学が9割という高校で、あえて進学しない道を
この記事の要点
- 01だからこそ、礼儀とか挨拶、返事とか、練習に取り組む姿勢とか、そういうところは野球から大きく学んだことですね。
- 02西岡さん:親は「やりたいようにやっていいよ」というスタンスで、何でも挑戦させてくれます。
- 03西岡さん:辻敬太さんという経営者の方がいらっしゃって、YouTubeやSNSを見て「この人のところで働きたいな」と思ったんです。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
週一回、火曜日の夜——野球スクール「笑耐夢Baseball Dream」という現在地
——いまの野球スクールの事業内容を教えてください。
西岡さん:今はメインが小中学生中心で、週一回、二時間半ぐらいのレッスンをやっています。バッティング、守備とか、野球全般すべて教えてるって感じですね。毎週火曜日、大阪の室内練習場を借りてやっています。
——平日は不動産買取の営業をされて、夜にスクールを。
西岡さん:そうですね。平日は営業の仕事をして、その傍らでスクールをやっています。今はまだ一人で運営していますね。
——始めたのはいつ頃なんですか。
西岡さん:6月の末に一回目の体験をやって、7月から本格的に始まりました。まだ一、二回しかやってないんですけど、小中学生合わせて毎週十人ぐらいは来てくれるので、スタートにしてはまあまあ集まってくれてるかなっていう印象ですね。ここからもっと大きくしていきたいです。
目立ちたがり屋で、集団の中心にいた少年時代
——幼少期はどんな性格でしたか。
西岡さん:目立ちたがり屋でしたね。結構リーダーシップを発揮するタイプで、代表をやるとか、野球でもキャプテンをずっとやっていたりとか。だから集団の中心にいることが多い性格ではありました。
——野球を始めたきっかけは。
西岡さん:小学校二年生から始めました。きっかけらしいきっかけはなくて、ただスポーツをやりたいなっていうのがあって。同級生のお兄ちゃんが野球チームに行っていて、それでちょっと始めてみようかなって。一回体験に行って、もうすぐ始めましたね。
——ほかに没頭したものは。
西岡さん:特になかったですね。学力は中の中くらいで、どっちかというともう野球に専念していました。
「近くて名門で強豪」——天理高校での寮生活
大阪で生まれ、地元の中学へ。野球を続けるなかで、進路は自然と決まっていった。
——天理高校を選んだ理由は。
西岡さん:中学のチームにいた時に、天理高校からお誘いがあって。甲子園を狙えるような強豪校には行きたかったので。近くて、名門で、強豪だったんで、行きたいなっていうので決めました。
——チームをまとめるうえで大切にしていたことは。
西岡さん:人と喋ることは元々好きだったので、後輩も含めてコミュニケーションを取るのは、多分誰よりもしていたかなと思います。
高校は寮生活。野球部専用のグラウンドを持つ環境で、練習は徹底していた。平日は放課後の4時から夜9時まで、休日は朝から夜まで。グラウンドが閉まったあとも、寮の横の室内練習場でさらにバットを振った。
——一日どのくらい練習していたんですか。
西岡さん:目いっぱいやって、十二時間ぐらいですね。8時くらいで終わったらもったいないので。帰ってきてからも10時、11時と練習して、ほんと十数時間はやっていました。
停学、そして本番直前の骨折——二度の挫折
順調に見えた高校生活には、大きな試練が二つ待っていた。
背番号をもらえそうなタイミングで
——二年生の秋に停学になったと。
西岡さん:新チームが始まる時で、初めて背番号をもらえそうなタイミングだったんですよ。それがなくなって、一回そこで心が折れて。「うわー」ってなりましたね。
ちょうど復帰した頃に選抜出場が決まり、年明けには再びメンバー入りが見えていた。
メンバー発表の三日前に
——三年生の春、本番直前に骨折されたそうですね。
西岡さん:センバツのメンバー発表の三日ぐらい前に、練習試合中に骨折したんです。やっと定着も進んで、背番号ももらえるだろう、やっと甲子園に行けるなっていうタイミングでした。結局ギブスを巻いて、スタンドで見ていましたね。
「諦めないこと」を、野球が一番教えてくれた
骨折から復帰したのは、夏の甲子園まで数か月というタイミングだった。そこから西岡さんは、夏のメンバー入りをつかみ取る。
——どう立ち直れたんでしょうか。
西岡さん:選抜前に骨折したり、停学があっても、夏の甲子園のメンバーに入って出られたので。諦めないことの大切さを、野球が一番教えてくれました。
——野球を通じて学んだ、人生で一番大切なことは。
西岡さん:プロ野球選手になれる人ってごく一部しかいないと思っていて。野球を職業にできる人は少ない。だからこそ、礼儀とか挨拶、返事とか、練習に取り組む姿勢とか、そういうところは野球から大きく学んだことですね。
大学進学9割の高校で、進まない道を選んだ
天理高校は9割が大学に進学する。それでも西岡さんは、大学に行かない選択をした。
——大学に進まなかった理由は。
西岡さん:入学する時、僕は元々プロ野球選手になりたかったんです。大学四年間やってプロになれる自信が三年生の時にあったら続けようと思っていました。でも上のレベルのうまい選手をいっぱい見て、「これはなれないな」と思った時に。野球もせずに大学に進むっていう選択肢は、そもそもなかったんで。だから「行かない」を選びました。
——周りの反応はどうでしたか。
西岡さん:親は「やりたいようにやっていいよ」というスタンスで、何でも挑戦させてくれます。監督やコーチは「行った方がいいよ」と。今の世の中でいうと、そっちの方が堅い道ではあると思うので。でも自分がずっと行かないと言っていたので、最終的にはみんな背中を押してくれる形になりました。
一通のDMから始まった——憧れの経営者のもとへ
進路を決めた西岡さんが選んだのは、営業の世界。そのきっかけもまた、一つの行動だった。
——営業の道を選んだ理由は。
西岡さん:辻敬太さんという経営者の方がいらっしゃって、YouTubeやSNSを見て「この人のところで働きたいな」と思ったんです。甲子園の前ぐらいに、夏にDMを送ったんですよ。高校野球をやっていて、三月に卒業するので四月から働かせてもらいたいですって。
——それで実際に。
西岡さん:辻さんも野球経験者で、共通の話題で話すうちに、四月から一緒に働こうということになりました。将来自分でも経営したいという話をしたら、「若いうちに営業力を身につけた方がいいよ」と。それで営業を始めた感じですね。
——将来は起業を。
西岡さん:一つの武器を今は磨いてるって感じなんです。営業をこれから本業にしていくというよりは、これから何のビジネスをするにしても、それにつながるために営業をやっている。一年、二年後とかには、自分で何かをやりたいなと思っています。
技術だけじゃない——子どもたちに「野球から何を得るか」を
自らが野球から得たものを、今度は子どもたちに手渡そうとしている。
——どんな思いで指導していますか。
西岡さん:もちろん野球のレベルが上がってほしいのが一番なんですけど、それ以外の部分ですね。声を出さないといけないスポーツなので、練習中に声を出すこととか、練習に取り組む姿勢とか。野球から何を得るかっていう部分を重視してやっています。僕自身も野球からそれを一番学んだので。
帽子に刻んできた「笑耐夢」という言葉。それはスクール名にもなっている。
——「笑耐夢」に込めた意味は。
西岡さん:スポーツの場面で「ここは見せ場だ」「ここで決めろ」っていう英語の意味とかけて、「笑うに耐えるに夢」という言葉にしたんです。常に笑顔で厳しい練習に耐えて、最後は夢を叶えるっていう意味があって。人生においてこれが全てかなと思っていて。何の仕事をするにしても、耐えないといけない状況は絶対来る。だけど常に笑顔を絶やさず、どんな状況も耐えて、最後は夢を叶える。僕のこれからの人生を体現した言葉でもあるかなと思います。
育ててくれた指導者たちへ
——これまで携わってくれた方々へ、感謝の言葉を。
西岡さん:野球でずっと携わってくださった方が多くて、すごく成長させてもらったんで。特に高校や小中学校の指導者は、野球の技術以外のところを教えてくれる方が多かった。取り組む姿勢とか、そういう部分を口酸っぱく言ってくださる指導者に多く巡り会えたんです。それは人生に通じることだと思うので。技術だけじゃなくて、社会で生き抜く力を教えてくださったことには、感謝しています。
「どうせいつか死ぬ」——一歩踏み出せない君へ
最後に自分のやりたいことに一歩を踏み出せない若者へ、メッセージ
——一歩踏み出せない人へ、アドバイスをお願いします。
西岡さん:僕が常に意識しているのは、「どうせいつか死ぬ」っていう言葉なんです。人生は結局一回しかない。大人もやりたいけど踏み出せないとか、いろんな事情があると思うんですけど、若いうちからやりたいことに没頭してほしいなって。その一瞬の勇気で、人生は変わったりすると思うんで。
——西岡さん自身も、その一歩から。
西岡さん:僕もやっぱり、あの一通のDMから始まった今の生活なんで。その一瞬は確かに勇気がいるんですけど、自分のやりたいこと、叶えたいことがあるんであれば、一瞬、勇気を振り絞ってほしいなって。どうせいつか死ぬんで。
19歳。甲子園という頂きも、挫折も知り、いまは営業と野球スクールという二つの武器を同時に磨く。「みんなが大学で四年間学んでいる間に、突き抜けたい」。その言葉に、若さゆえの焦りではなく、耐えて、笑って、夢を叶えるという静かな覚悟がにじんでいた。彼の「笑耐夢」は、まだ始まったばかりだ。
会社概要
スクール名:野球スクール「笑耐夢Baseball Dream」
事業内容:小中学生を中心とした野球スクール(週1回・火曜/2時間半のレッスンでバッティング・守備など野球全般を指導)
所在地:大阪
氏名:西岡 鼓哲
取材・文:佐藤大遥(株式会社One Rep)
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