2026.10.14 / ぶち上げインタビュー
【経営者インタビュー】「結果を先に想像する力なんて、磨かなくていい」——融資が下りる前に3,000万円を賭けた、松戸のジムオーナー。sakura fitness株式会社・長谷川さくらさん

融資が下りる前に、彼女は3,000万円分のマシンを発注した。 千葉県松戸市を拠点に、200坪規模の大型フィットネスジム2店舗をはじめ、パーソナルジムなど複数拠点を展開するsakura fitness株式会社。 松戸駅前にも店舗を構え、シニアからジュニアまで幅広い世代に向けて、「フィットネスとメディカルの間」を担う場所づくりを続けている。 代表の長谷川さくらさんは、トレーナーだけでなく、理学療法士やアスレチックトレーナーなどの専門スタッフとともに、「痛みを予防・改善できる体づくり」を伝えるジムを、今年で9期目まで育ててきた。 沖縄で生まれ、幼い頃は引っ込み思案だった少女。 中学3年生のとき、父親
この記事の要点
- 01私たちがずっと大事にしているのは、「フィットネスとメディカルの間」をつくることです。
- 02それも一つの形ですけど、うちは設備にもかなり力を入れていますし、何より理学療法士やトレーナーがそばにいることを大事にしたい。
- 03千葉に行った方が、自分の未来が広がるんじゃないかと直感して、親にプレゼンしました。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
メディカルとフィットネスの間で——「百歳まで笑顔で動ける体へ」
——まずは、いま手がけている事業を教えてください。
長谷川さん:sakura fitness株式会社という会社で、今9期目に入ったところです。
千葉県松戸市で、200坪規模の大型フィットネスジムを2店舗運営していて、松戸駅前にも店舗があります。
それに加えて、パーソナルジムなども運営しています。
私たちがずっと大事にしているのは、「フィットネスとメディカルの間」をつくることです。
シニアの方からジュニアまで、ただ筋肉をつけたり痩せたりするだけではなく、痛みを予防したり、身体に不安があっても安心して運動できたりする場所をつくりたいと思っています。
一方で、人目を気にせず静かな環境でトレーニングしたい方には、パーソナルジムという選択肢もある。
いろいろな方の「運動したい」を受け止められる会社でありたいと思っています。
——「百歳まで笑顔で動ける体へ」というテーマを掲げていますね。
長谷川さん:フィットネスの参加率って、日本はまだまだ先進国の中で低いんですよ。
そんな中で、24時間ジムが一気に増えている。それも一つの形ですけど、うちは設備にもかなり力を入れていますし、何より理学療法士やトレーナーがそばにいることを大事にしたい。
筋肉をつけるとか、ダイエットするとか、それだけじゃなくて、みんなをフィットネスで豊かにしていきたいんです。
引っ込み思案の少女が、リーダーになった日
——子どもの頃は、どんな性格でしたか。
長谷川さん:幼い頃は、かなり引っ込み思案で、人前に出られない子でした。
でも小学校の中学年くらいのとき、担任の先生がすごく自信を持たせてくれるタイプの方で。能力を引き上げてもらって、そこからリーダーシップを取るのが好きになったんです。
スポーツも、その頃から友達とサッカーをやったり、男の子ともよく関わったりして、小中では生徒会もやっていました。
「沖縄は、狭い」——中3で親を説得し、千葉へ
——中学3年生のときに、沖縄から千葉へ移ったそうですね。
長谷川さん:私、もともと沖縄出身なんですよ。
中3の二学期、生徒会の正副会長をやっていて、このままなら推薦で地元の高校に行ける、というところまで決まっていました。
でもそのタイミングで、海上自衛官だった父が千葉に転勤することになって。
自分の人生を考えたとき、「沖縄は狭いな」ってずっと思っていたんです。
もっと外に出てみたい。千葉に行った方が、自分の未来が広がるんじゃないかと直感して、親にプレゼンしました。
「私も一緒に千葉に行きたい」って。
——ソフトボールとの出会いは、千葉に来てからだったんですね。
長谷川さん:そうです。沖縄ではソフトボールをやっていなくて、千葉に来てからです。
しかも最初は、ルールも何も知りませんでした(笑)。
転校先のクラスに、学校がつまらなくてあまり来ていない子たちがいて。教室にバットとボールがあったから、休み時間に一緒に遊んでいたんです。
それを職員室から校長先生が見ていて、「あの転校生は何なんだ」と。
校長先生がソフトボールの強豪校にパイプを持っていたこともあって、そこから話がつながり、ソフトボールの推薦で高校に進むことになりました。
怪我、そして回り道——「辛抱が、1ミリもなかった」
——強豪校での日々は、順風満帆ではなかったと。
長谷川さん:体も小さいし、身体能力も高くない。強豪校に入ったものの、やりたいけどできない、というもどかしさがあって。
最後は怪我もあって、ふてくされて辞めてしまったんです。
「辛抱」というものが、当時の私には1ミリもなかった。
それが今でも悔いとして残っていて、その悔しさを事業にぶつけている感じですね。
——高校卒業後は、どんなキャリアを?
長谷川さん:ソフトボールを続けるために、専門学校へ進むことも考えました。
でも下に妹と弟がいて、これから2人も進学する。自分だけ専門学校へ行くより、働こうと思って、高卒で就職しました。
最初はスポーツショップの店員です。
そのあと、父の影響もあって自衛隊にも少しだけ。「日本を守るってかっこいいな」って、シンプルにそう思って。
ただ、実家の都合もあって、1年足らずで辞めることになりました。
26歳の分岐点——「今の自分が一番稼げる仕事は何か」
——その後、大手スポーツクラブへ。
長谷川さん:20歳から28歳まで、大手のスポーツクラブでインストラクターとパーソナルトレーナーをやっていました。
スイミング指導も、スタジオレッスンも、プールも、全部やりましたね。
——長く続けられたのは、天職だと感じたからですか。
長谷川さん:実は26歳くらいまで、自衛隊の辞め方が本意じゃなかったので、また戻りたくて試験を受け続けていたんですよ。
でも、一度辞めた人間が戻るのは難しくて。
26歳を自分のリミットに決めていて、最後の試験もダメだった。
そこが分岐点でした。
「今、自分が一番持っている能力で稼げる仕事は何だろう」
と考えたとき、それがパーソナルトレーナーだったんです。
独立、そして気づいた「パーソナルの限界」
——28歳で独立されたきっかけは。
長谷川さん:ちょうどRIZAPが流行り出したタイミングだったんですよ。
「これからパーソナルトレーニングジムって流行るだろうな」と思って。
じゃあ、これをもっと分かりやすい形にして自分で作ればいける、と。
パーソナルジムの、本当に初期だったと思います。
——最初から順調だったわけではない、と。
長谷川さん:独立して1年はマンションの一室でやって、そこから路面店に移りました。
最初は45分3,500円。路面店で5,000円に上げても、月4回で2万円。
トレーニングに毎月2万円を払い続けられる人って、そんなに多くないんですよね。
しかも、パーソナルを卒業した方に後で会うと、みんなトレーニングをやめてしまっていて。
「結局、何をやっていいか分からないし、続かなかった」と。
そこで、パーソナルだけではなく、もっと多くの人が日常的に運動を続けられる大型のフィットネスジムをつくろうと決意しました。
人生で一番ぶち上げた瞬間——融資前に、3,000万円
——32歳で、200坪の大型店舗を開業されます。
長谷川さん:独立から4年後ですね。
パーソナルトレーニングもまだ今ほど広まっていない時代に、200坪——660平米ほどの大型ジムです。駐車場も300台以上ある立地でした。
「ここにジムを作れたらいいな」と思って申し込んだら、大手のジムでほぼ決まっているからと断られて。
それでも「一回、プレゼンだけでもさせてください」と、ダメ元でお願いしたんです。
——そこから、状況が一変したと。
長谷川さん:その施設が別の会社に買収されるという話が出て、決まっていた大手が撤退したんですよ。
施設側が慌てて、「もう長谷川さんにやってもらおう」と。
ただ、オープンの日はもう決まっていて、半年もない。
お金なんてないのに、融資が下りる前に3,000万円分のマシンを発注しなきゃいけない状況になってしまって。
——それは、相当な決断ですね。
長谷川さん:もう「行っちゃえ」って、3,000万円分を発注しました。
そのあとに融資を申し込んで、下りるまで何ヶ月も待つわけです。
最後に融資が下りたときは、本当に死にそうでしたね(笑)。
百人いたら百人がやらない。
でも、お尻に火をつけて、やるかやらないか。
買収話が重なった運の良さもあって、あそこが人生で一番ぶち上げたタイミングだと思います。
「これ、私でもできる」——だから接客に振り切った
——大型店を作って、最初に気づいたことは。
長谷川さん:8年前、6,000万円を引っ張ってオープンしたとき、ふと気づいたんです。
「これ、私でもできるってことは、ここから大手がめちゃくちゃ来るな」と。
マシンを置いて、お客さんに勝手に来てもらうスタンスなら、どこでも作れてしまう。
だから、相当接客に特化したジムにしなきゃいけない、と最初に決断しました。
ただ、そこからは人件費が相当かかる。
焦って採用ばかりして、全然合わない子を入れてカルチャーが乱れたり、人の部分では最初すごく苦労しましたね。
——開業以来7年半、トレーニング中の事故ゼロと伺いました。接客で工夫していることは。
長谷川さん:とにかく細かいですね。
メールの返し方ひとつ、口コミの返し方ひとつ、体験申し込みがあったときにどんな電話をするか。
全部マニュアル化しています。
月に一回は全館を休館にして、全員を集めて研修をやる。それは今も続けています。
200坪の大型ジムを2店舗へ——松戸駅前にも展開
——最初の大型店から、現在はさらに事業を広げています。
長谷川さん:はい。
最初の200坪規模の大型店から始まって、現在は同規模の大型フィットネスジムを2店舗運営しています。
松戸駅前にも店舗を展開していて、パーソナルジムも含め、それぞれ違うニーズに応えられる形をつくってきました。
単純に店舗数を増やしたいというよりは、地域の中で、
「運動したいけれど、普通のジムでは不安」
「身体に痛みがある」
「何をやったらいいか分からない」
「人目を気にせずトレーニングしたい」
という人たちを、できるだけ取りこぼさない環境をつくりたいと思っています。
予防を教えるジムへ——トレーナーの「その後」まで背負う
——今はメディカルフィットネスに力を入れていますね。
長谷川さん:24時間ジムがこれだけ増えている中で、まず差別化しないといけない。
これだけ高齢化社会が進むと、健康意識を高めないと、医療費や保険料の問題も大きくなっていく。
だから、私たちトレーナーはもっと予防に力を入れなきゃいけないんです。
痛みを予防できる。痛みが起きても、自分の知識で改善できる。
そういう教育がしっかりできるジムでありたい。
スタッフも、最初はトレーニング好きが多かったんですけど、私がメディカル寄りになってから、医療系の人材が増えてきました。
理学療法士やアスレチックトレーナーなど、専門知識を持ったスタッフが一緒になってお客様を見る。
今は社員が15人ほどで、業務委託まで含めると30〜40人くらいの規模です。
——パーソナルトレーナーのキャリア設計にも取り組んでいると。
長谷川さん:一般的なパーソナルジムだと、パーソナルを売って、インセンティブを渡して、「あとは頑張ってね」という形も多いと思うんです。
でも、パーソナルトレーナーって、まだ歴史の浅い職業です。
40歳、50歳になったらどうするの、といつも思っていて。
だから、トレーナーを育成できるトレーナーになること。
マネジメントを学ぶこと。
店舗を任せられる人材になること。
そうやって、トレーナーとしての技術だけではなく、長く活躍できる器をつけてほしい。
この子たちが会社を辞めたあとも、しっかりつながっていられるようなキャリアまで示してあげたいんです。
プレイヤーを卒業するために——弟子入りという選択
——経営者・中野社長の付き人もされているそうですね。きっかけは。
長谷川さん:1年半くらい前ですかね。
事業が年商2億円くらいまで来て、ここからどうスケールさせようかと悩んでいたんです。
24時間ジムがこれだけある中で、ただ店舗を増やしていくのも危険。
それ以上に、自分自身がプレイヤーをやりすぎていたんですよね。
そろそろ本当の意味で経営者にならなきゃいけない。
経営が弱いからプレイヤーに逃げてしまう自分を、どこかで打破したかった。
そんなときにYouTubeで付き人募集のショート動画が流れてきて、「これだ」と思ったんです。
応募は70人近くいたと聞きました。
Googleフォームで経歴を出して、社員の方との面談、ビジネスのテスト、理念についての聞き取り、最後に本人との面談。
付き人は一人だけ。
あのショート動画を見ていなかったら、今こうしてお会いすることもなかったですね。
——これから、sakura fitnessをどうしていきたいですか。
長谷川さん:もっとメディカルフィットネスという分野を広げて、その第一人者になりたいですね。
店舗を増やすことだけが目的ではなくて、
「身体に不安があっても、安心して運動できる」
「痛くなってからではなく、痛くならないためにジムへ行く」
そんな文化をもっと広げたい。
フィットネスとメディカルの間にある場所を、日本でもっと当たり前にしていきたいと思っています。
挑戦したいあなたへ——「バカになってください」
——挑戦したいけれど一歩を踏み出せない人へ、アドバイスをお願いします。
長谷川さん:ある方のnoteで見た「チャンスは、チャンスの顔をしてやってこない」という言葉が、本当にその通りだなと思って。
私にとってのチャンスは、あの3,000万円のマシンを買ったタイミングだったんですよ。
でも、その渦中にいるときは、それがチャンスだなんて気づかない。
だから、とにかく行動を起こすしかない。
みんな、結果を先に想像してしまうんですよね。
でも、その想像力は磨かなくていい。
バカになってください、って感じですね。
沖縄で生まれ、幼い頃は人前に出ることさえ苦手だった少女は、中学3年生で自ら千葉へ行くことを選んだ。
そこで偶然ソフトボールと出会い、怪我と挫折を経験し、いくつもの回り道を経てフィットネスの世界へ。
28歳で独立。
そして32歳、融資が決まる前に3,000万円分のマシンを発注し、200坪規模の大型ジムに挑戦した。
現在は大型ジムを2店舗へと広げ、松戸駅前にも拠点を構えながら、「フィットネスとメディカルの間」という新しい領域に挑み続けている。
振り返れば、人生を大きく動かした瞬間のほとんどは、成功が約束されていたわけではない。
むしろ、先が見えないときに「やる」と決めたことばかりだった。
チャンスは、チャンスの顔をしてやってこない。
長谷川さくらさんの歩みは、その言葉をそのまま体現している。
会社概要
会社名:sakura fitness株式会社
代表:長谷川 さくら
所在地:千葉県松戸市
事業:メディカルフィットネス・大型フィットネスジム・パーソナルジム等の運営
店舗:200坪規模の大型フィットネスジム2店舗を含む、松戸市内複数拠点(松戸駅前店ほか)
従業員:社員約15名、業務委託を含め30〜40名
特徴:トレーナーに加え、理学療法士・アスレチックトレーナー等の専門スタッフが在籍
公式Instagram:@sakura.h_sf
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