2026.10.13 / ぶち上げインタビュー
【経営者インタビュー】「労働で不幸になる人をゼロに」どん底から起業した人情派社労士が仕掛ける一隻の船出。——JAM社労士事務所・山添綾也

「当たり前のことを、当たり前にやる。それだけで差別化になります」 その言葉を、少しも気負わずに口にする人がいます。JAM社労士事務所の代表・山添綾也(やまぞえ りょうや)さんです。 労務顧問、給与計算、就業規則作成、行政調査対応、助成金申請(着手金なし/報酬20%)、労務監査と、幅広く手掛ける社会保険労務士事務所。 開業は2026年1月1日。副代表との二人体制で、顧客ゼロからのスタート。 高校まで打ち込んだ野球での成功と挫折。大学で遊びの頂点を極めた4年間。そして、新卒で入社した大手専門商社でのミスマッチ。 そこで抱いた「日本の労務は、むちゃくちゃだ」という違和感が、彼を思いがけない道へと導き
この記事の要点
- 01100年以上続く、売上1,000億円超、従業員700〜800人規模の東証一部(現プライム)上場企業にもかかわらず、実際は「営業はサービス残業が当然」という文化で、上司によって残業申請が認められたり認められなかったり。
- 02山添さん:向いていない理由ばかりが募って辞めたので、正直、何をしたいかは全くわかりませんでした。
- 03しかし、「労働をきっかけに不幸になる人をなくす」という途方もない夢や、この業界を変えるという目標は、私一人では絶対に辿り着けません。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「士業は、サービス業でもある」——専門5、サービス5の看板
——まず、JAM社労士事務所の事業について教えてください。
山添さん:普段はいわゆる「顧問社労士業務」全般を行っております。専門性やスピード感は大前提で、その上で一人の人間として寄り添う「人情」を大切にしております。誠実に「人」と向き合う経営者を全力で支援する。これが私たちの使命です。
——強みも教えてください。
山添さん:まずは顧問先への助成金提案力ですね。「着手金なし・報酬20%」という形で提供しております。
もちろんスポット対応も可能ですが、助成金は補助金と違い、行き着く先は「会社の帳簿の整理整頓」になります。必然的に労務管理の改善に繋がるため、中長期的に見て確実にプラスになる提案を、顧問先には能動的に行っております。
もう一つの強みはレスポンスです。これはサービス業の基本中の基本であり、もはや社会人としての礼儀やマナーだと捉えております。
また、どれだけ規模が大きくなっても「担当ガチャ」と言われない仕組みづくりも絶対に進めていきますし、凡事徹底を貫きます。
その中でも、社労士の間で意見が分かれるような領域は、私が最後の砦として全責任を背負います。社労士業界の花形とも言える「労使間の揉め事の裁き方」については自信がありますし、誰にも負けないつもりです。
——業界には、何が足りていないと感じますか?
山添さん:そもそも士業は「専門サービス業」ですが、現状は前半の「専門」に寄りすぎている気がします。さすがに80点の専門性ではプロとして不合格ですが、95点の専門性を120点にする前に、その10点・20点にとどまっている「サービス性」の部分の向上に労力を注ぐべきです。
特に社労士は、人と人の問題という「労使間の泥臭い部分」を扱うため、法律一辺倒では解決しません。「専門が5割、サービスが5割」。そのバランスを忘れかけている業界に、強く訴えかけていきたいですね。
ウサギとカメ——カメの努力で掴んだ初めての成功体験
——学生時代は、どんな子どもでしたか?
山添さん:高校までずっと野球部でした。もともと真面目な性格で、「ウサギとカメ」で言えば完全にカメ。一つずつ積み上げていくタイプでしたが、逆に言えば器用貧乏でもありました。それなりに苦労もし、努力もしてきた子ども時代でした。
——最初の成功体験は?
山添さん:中学野球で、努力してレギュラーを勝ち取ったことです。実際に自分が「うまくなった」という確かな実感もあり、それが人生で初めての成功体験でした。「自分が決めた習慣は怠らない」という性格が活きましたね。
「二兎を追え」——高校での挫折と、その反動のような大学生活
——高校では、うまくいかなかったと。
山添さん:肩肘に力が入りすぎて、うまくいきませんでした。イップス状態になり、「努力だけではどうにもならないこともある」と思い知らされました。
さらに、学歴偏重の進学校だったこともあって、勉強の面でも圧倒的な敗北感を味わうことになりました。文武両道で二兎を追うスタイルを謳う私立高校に進学したのに、故事成語の通り「二兎を追う者は一兎をも得ず」という生活になってしまいました。
——大学は、どう過ごしたんですか?
山添さん:近畿大学に進学したのですが、出身高校としてはあまり誇れる学歴ではなくて。ただ、同じ野球部から一緒に進学した友人と「就活の学歴フィルターでは高校の同級生に負けるのが確定している。だったら、この大学4年間で人生の元を取るくらい遊ぼう」と強く誓いまして(笑)。
そこからは金髪にしたり、ピアスを開けたり、朝まで飲むのが本業だと思って真剣に遊び尽くしました。でも、一通り遊びきったおかげで大人になってからズルズルと遊ぶ人間にはなりませんでしたし、むしろ別の大学に行った高校の同級生たちからは羨ましがられるくらいでしたね。
新卒時代のミスマッチ——「日本の労務は、むちゃくちゃやな」
——新卒では、専門商社に。
山添さん:コミュニケーション能力だけは評価され、専門商社に内定をもらいました。ただ、真剣に就活をしていなかったので、分析不足で大きなミスマッチを経験しました。
法学部出身なのに、配属先は搬送機器やコンベアを扱う部署。顧客は誰もが知る大手メーカーの工場です。お客様の方が圧倒的に専門知識があり、営業の我々が教えを乞うという情けない状況でした。
参考書を買い、毎日勉強するなどの努力はしたものの、見たこともない物理の記号が飛び交う中で会話をするのは非常に大きなストレスでした。苦手なフィールドで努力することのしんどさを痛感し、当然ながら営業成績も振るいませんでした。
——労務への違和感も、そこで?
山添さん:はい。100年以上続く、売上1,000億円超、従業員700〜800人規模の東証一部(現プライム)上場企業にもかかわらず、実際は「営業はサービス残業が当然」という文化で、上司によって残業申請が認められたり認められなかったり。全社一律でNGならまだ納得できますが、上司の裁量で扱いが変わる。「このレベルの大手でこれか」とショックでした。そんな不平等なルールの下で努力する気にもなれない中、上司との折り合いも悪く、休日返上の激務でも心身をすり減らした末、退職を決意しました。
愛犬一匹との再出発——見つけた道
——辞めた時、何か決まっていたんですか?
山添さん:向いていない理由ばかりが募って辞めたので、正直、何をしたいかは全くわかりませんでした。
また、当時同棲していた方がいたのですが、私の将来が不安定になったこともあり、離れることに。共同の貯金などの財産はすべて相手に渡し、その代わりとして飼っていたトイプードルだけはなんとか引き取りました。それだけはどうしても譲れなくて。
やりたいことも貯金もない状態で、家賃3万円の、生活保護を受けている方が多く住むような、一応ペット飼育可のアパートに引っ越しました。
——そこから、どうやって社労士に?
山添さん:お金がなかったので、偶然見つけた「若者限定のハローワーク」に通い始めました。そこに併設されていた無料のキャリアコンサルティングのブースを、生活リズムの昼夜逆転防止も兼ねて毎回朝イチで予約しまして。
そこで何度もセッションを重ね、自分自身を深く掘り下げてもらった結果、見えてきたのが「社会保険労務士」という道でした。
見習いから——独立
——資格の勉強は、働きながらされたのですか?
山添さん:はい。実務も学ぶために社労士事務所の補助スタッフとして見習いからスタートしました。商社時代と比べると給料はほぼ半減でしたが、無職だったので雇ってもらえるだけで、当時はありがたかったです。平日は5時に起きて職場近くの喫茶店で試験勉強をしてから出社、昼休憩も1時間の内50分は勉強、休みの日は冠婚葬祭の予定を除き、朝から晩まで勉強という日々を過ごしました。年に1回の試験ですが、1回目は不合格。2回目の挑戦で無事に合格しました。
——独立を決めた理由は?
山添さん:社労士事務所って、代表や所長が利益を総取りする仕組みが多くて、本気で頑張って、プロになって、管理職になっても年収は500万円程度。そんな希望の薄い現実を目の当たりにし、当時「事務所を継がないか」というお話もいただいていたのですが、総合的に見てマイナスだと判断しました。
それと同時に、関わってくれるスタッフがしっかり稼ぎ、全員が輝く事務所を自分で作りたいとも思いました。「社労士=夢のある仕事」だと証明するチャンスだと捉え、 どんなに不安定でもゼロから立ち上げようと腹を括って決意し、12月31日付で退職、翌1月1日に独立を果たしました。
人への投資こそ、センターピン——「大阪の社労士といえば」を取る
——尊敬する経営者はおりますか?
山添さん:昔から尊敬する人がいないことが悩みだったのですが、強いて言うなら実在はしないですが、ONE PIECEのルフィですかね。たかがアニメ漫画、されどアニメ漫画。
無鉄砲なところ、夢を大きく語るところ、仲間のために自己犠牲を惜しまないところ、そして人を惹きつけるところ。リーダーとしての本質を突いていると感じます。
——これから、どんな会社にしていきたいですか?
「人への投資」こそが、会社を大きくするためのセンターピンであり、最重要課題だと思っております。「ヒト・モノ・カネ」の中で、今はどうしても「カネ」が最優先され、雇用のリスクや社会保険料ばかりが気にされがちです。でも、雇用にビビっていては会社は大きくなりません。
社長の本来の役割は、関わるすべての人に希望を持たせ、夢を見せること。しかし、ご認識の通り現実はその逆であることが多いです。だからこそ、労働をきっかけに不幸になる人を減らしたい。過労死や過労自殺、あるいはその手前にある適応障害を含めて、「JAMという社労士事務所があったから、それらがなくなった」と言われるまで、この使命を全うしたいですね。
——事務所としての目標は?
山添さん:何はともあれ、まずは基盤づくりとして、この5年で「大阪の社労士事務所といえばJAM」という確固たるポジションを築くことです。直近の目標は、来年中つまり開業2年で「顧問先100社」。あえて売上やスタッフ数ではなく、顧問先の数を一つの物差しにしております。
また、大阪は「人情の街」なので、「人への投資」という私たちの理念と相乗効果を生むと信じております。そして5年後以降は、日本全体、さらには政策や政治の分野にも一石を投じていきたいです。
読者へ——「船員募集」と「認知のお願い」
——最後に、記事を読んでいる方へ。
山添さん:私にとって、求人とは単なる「スタッフの募集」ではありません。人生というかけがえのない時間を懸け、同じ船に乗り込んでくれる「仲間集め」です。
先に述べました通り、弊所は関わってくれるスタッフ全員がしっかり稼げる環境を本気で作りますし、「社労士=夢のある仕事」だということを、この手で証明します。
しかし、「労働をきっかけに不幸になる人をなくす」という途方もない夢や、この業界を変えるという目標は、私一人では絶対に辿り着けません。だからこそ、同じ熱量で、同じ未来を信じて共に走ってくれる仲間がどうしても必要です。
今のスキルや経験は不問です。
「この社会を良くしたい」「誰かの人生を本気で守れる人間になりたい」「自分の夢も叶えたい」そんな熱い想いがあるなら、私にぶつけてください。
この記事を読んで、少しでも心が震えたなら、迷わず直接連絡をください。
あなたが本気でこの船に乗る覚悟を決めてくれるなら、私も事務所の代表として、あなたの人生を絶対に後悔させませんし、生涯を捧げて導き抜く覚悟があります。
一人じゃ絶対に見られない最高の景色を、一緒に見に行きましょう。熱狂できる仲間を、心から待っています。
そして最後に、日本に約400万社ある中小企業の皆様。
まずは「JAM社労士事務所」の存在と、「社労士」という仕事が持つ本当の価値を少しでも知っていただけたら幸いです。
会社概要
会社名:JAM社労士事務所
開業:2026年1月1日
代表:山添 綾也
事業内容:労務顧問、給与計算、就業規則、行政調査対応、助成金(着手金なし/報酬20%)、労務監査
取材・文:黒澤優一(株式会社One Rep)
ぶち上げch noteインタビュー希望の方はこちら → https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc7QMCdWjv_M00Nxb53MkgpI3rNBzn6sn8gP6Ac20UVlcLxew/viewform
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