2026.08.24 / ぶち上げインタビュー
【経営者インタビュー】「グローバル転職をもっと身近に」——Jクラブの挫折とサウナを越えて、"グローバル転職の第一想起"をつくる。株式会社ilo・濱口隆太さん

「遠かったグローバルが、意外と身近にあったんです」。 人材紹介の会社、株式会社iloを立ち上げた濱口隆太さん。「留学したのに、英語を使っていない」「グローバルな環境で働きたいのに、叶っていない」——グローバルな環境で働きたい思いはあるのに、それが実現できていない人たちへ、身近にあるグローバルな機会を届けている。 川崎に生まれ、Jクラブの下部組織でサッカーに打ち込むも、"上には上がいる"現実を突きつけられた少年時代。箱根駅伝に憧れて陸上に転じるが、腰の怪我で選手の道を断念。大学ではスポーツライター、卒業後はリクルートへ。しかし、好きが高じて始めたサウナ事業では「事業化させるのではなく、趣味にとど
この記事の要点
- 01ただ、少ない人数でも社員を大事にして、取引先からすごく尊敬されていた、という話を昔からずっと聞いていました。
- 02あまりみんながやっていない、新しい価値をつくれることをやろう、と話し始めたのが最初のきっかけです。
- 03まだ立ち上げて1ヶ月なので、お客様に返せる実績はこれからですが、いまは「なぜこの領域なのか」「自分たちがやる価値は何か」を、まっすぐ届けていきたいと思っています。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
「グローバル転職」を、もっと身近に——いま挑んでいること
——まずは、いま手がけている事業を教えてください。
濱口さん:僕はグローバル転職をしたい方向けに、人材紹介事業をやっています。やっていること自体はシンプルで、人材紹介です。
ただ、向き合っている方が少し特徴的なんです。「留学したけど、いまは英語を全然使っていない」とか、「外資系で働きたいけど、なかなかそれが叶っていない」とか。そういう方が多いんですよ。
濱口さん:グローバルな環境で働きたいという思いはあるのに、それが実現できていない。そんな方々に向けて、グローバルな環境をご紹介したり、機会をつくっていくようなことをしています。
「上がいるんだな」——Jクラブで知った、最初の挫折
——幼少期は、どんなお子さんでしたか。
濱口さん:僕、生まれが川崎なんですよ。ご存じの方もいると思うんですけど、けっこう柄の悪い地元でした(笑)。五体満足で生まれて、父はメーカー勤務、母は専業主婦の、まあ一般的な家庭でしたね。
ただ足だけは昔から速くて、小学校の頃から活発なタイプでした。地元が地元だったので、いわゆる"グレる"方向にちょっと足を突っ込みかけたこともあったんですけど、最後まで引き抜かれなかったのはスポーツのおかげだったなと思います。
川崎ヴェルディという、強すぎるチーム
——川崎ヴェルディというと、ガチのJクラブですよね。
濱口さん:そうなんですよ。チーム自体はすごく強かったんですけど、ポイントは、僕がめちゃくちゃ上手かったわけじゃないというところなんです(笑)。いろんな場所から選りすぐりのメンバーが集まってくるチームだったので、その中にいると、なかなか試合に出られないんですよね。
濱口さん:そこで、上がいるんだな、圧倒的に勝てないな、と痛感したんです。これがけっこう大きなポイントでした。だから小学生のうちから、逆に「サッカーじゃない、何か別のものはないかな」って探し始めた気がします。
小学4年で横浜に引っ越してからは、サッカーは実質引退でしたね。たまにラモスさんが来てサインをもらえるのが楽しみだった、そんな時代でした。
会ったことのない、祖父への憧れ
——ご両親が経営者だったわけではないんですよね。
濱口さん:そうなんです。でも、母方の祖父が経営者だったんですよ。これが僕の原体験なんです。
両親があまり仲が良くなかったのもあって、休みの日はよく祖母の家に連れて行かれていました。高校3年から大学時代までは、その祖母と二人暮らしをすることになりました。
濱口さん:祖父は神楽坂で印刷・製本の会社をやっていました。10名前後の本当に小さな会社で、大日本印刷さんのような大きな会社から文庫本の製本を受注していたそうです。
僕は祖父が48歳で亡くなっているので、実は一度も会ったことがないんです。ただ、少ない人数でも社員を大事にして、取引先からすごく尊敬されていた、という話を昔からずっと聞いていました。
濱口さん:祖母が崇拝している祖父だったので、なんとなく僕の中でもリスペクトがありました。リクルートに「Will Can Must」っていう、将来どうしたいかを問われる面談があるんですけど、僕はずっと「おじいちゃんみたいになりたい」って言っていました。会ったことがないぶん、ある種の偶像崇拝かもしれないですけどね(笑)。
箱根駅伝への憧れと、スポーツライターの日々
——大学時代は、どんな過ごし方を。
濱口さん:大学ではスポーツライターをやっていました。法政大学だったんですけど、大学スポーツを取材して、新聞をつくって世の中に広めるような活動をしていました。
実際に取材に行ったり、新聞をつくったり。あとは新聞の下のほうにある広告を、個人から集めてくる仕事もしていました。準体育会のような活動でしたね。
腰の怪我、それでも箱根に関わりたくて
——なぜ、ライターだったんですか。
濱口さん:きっかけは好きだった駅伝にあります。中学の駅伝大会で、地元の先輩に箱根を走るようなすごく速いランナーがいて。一人だけ圧倒的に速くて、ヒーローみたいになっているのを見て「めっちゃいいな、これ」と思いました。
サッカーで勝てないと感じていた時期でもあったので、襷をつなぐ仲間と、何かをやりたかったんですよね。それで高校では陸上・駅伝をやりました。
濱口さん:ただ、腰を怪我してしまいました。定期的に病院に通わなきゃいけない状態が続いて、選手としても、なかなか難しくなってしまった。それでも箱根に関わりたくて、たまたま進学した大学が箱根に出る大学だったので、大学のスポーツ新聞でライターをやることにしたんです。
たまたま所属したゼミでは組織心理学で、人と組織、その生産性みたいなものを研究していました。人が活躍できる環境や組織づくりに興味を持って仕事にできたらいいな、と思って人材業界を志望して、縁あってリクルートに入社しました。
リクルートという、選択
——リクルートは、7回も面接をされたとか。
濱口さん:そうなんですよ、たぶん一番多く面接した会社でした(笑)。実は内定をもらう前に、「matcher株式会社」という会社のサービスを利用して就活をしてました。
僕、体育会っぽい活動をしていたので、就活のスタートが人より手遅れだったんです。「これはやばい、みんなと同じルートでいくと死ぬな」と思いました。
濱口さん:それで、興味のある業界のOBに会えるOB訪問のプラットフォーム(これがmatcherなんです笑)を、とにかく使い倒しました。2ヶ月で80人くらい会ったんじゃないですかね。そうしたら、あまりに使っていたからか、matcherの本体から「一度お会いしませんか」と声がかかって、インターンをすることになりました。
ダイレクトスカウティングの運用や営業を1年ほど。当時の上長が元リクルートのトップセールスの方で、営業の基本を教えてもらっていたので、リクルート入社後もあまりギャップはなかったんです。
——経営者になろうとは、いつから思っていたんですか。
濱口さん:心のどこかで思ってはいたんですけど、どちらかというと「組織に所属しているほうが性に合うのかな」と思っている瞬間もありました。
社会人になりたての1〜2年目は、目の前の仕事で精いっぱいで、いつか起業してやろう、なんてことはあまり考えていなかったですね。
「これは、事業じゃなくて趣味だ」——サウナ事業の挫折
——これまでで、一番の挫折や失敗を挙げるとしたら。
濱口さん:一つはサウナですね。24歳くらいのときに、いまも一緒に会社をやっている中村(株式会社iloの取締役)と、テントサウナの事業を立ち上げたんですよ。川に持ち運べるテントサウナのレンタルやイベントをやっていました。
一時期は本気で「もうサウナ屋さんで生きていこう」と思っていました。好きなものが見つかって、それに熱中していく感覚がありました。
きっかけは、アイスランドの原体験
濱口さん:もともとのきっかけは、大学時代にアイスランドに長期滞在したことなんです。向こうって、水着で温水プールに入って、その中でお酒を飲むみたいな文化が各町にあるんです。
地元の人が「どこから来たの?」と話しかけてくれて、暗くなるとオーロラが見えました。お年寄りから小学生まで、みんなが一つの場所で過ごしている。「なんだこの経験は」と思いました。日本の窮屈なサウナのイメージとはまるで違って、「僕が知ってるサウナじゃないぞ」と思ったんです。
濱口さん:ただ、結論からいうと、うまくいかなかった。赤字になったわけではないんですけど、思っていたより市場がニッチでした。身近な友人は満足してくれるけど、それ以上に広げていこうとすると、どうしても趣味の域を超えないな、と感じました。
自分が信じていた仮説が、間違っていた——そういう感覚に陥って、けっこう自己嫌悪でしたね。結局これは事業じゃなく趣味にしよう、と切り替えました。いまも月に一度、テントサウナのイベントをやっています。
幼なじみとの再起、そして「グローバル」との出会い
——創業には、どんな経緯があったんですか。
濱口さん:お互い子どもができて、家庭に入らなきゃいけない時期がありました。それが少し落ち着いたタイミングでした。
その幼なじみが、実は一度、人材事業にチャレンジしていたんですけど、あまりうまくいきませんでした。話を聞いていると、収益化やオペレーションの難しさがありました。僕はHRの営業と企画をやっていたので、「僕だったらこうするな」というのが客観的に見えたんですよね。
濱口さん:もう一回この幼なじみと一緒にやりたいという思いと、僕自身がHRの業界がとにかく好きだという思い。この二つが大きかったんです。あまりみんながやっていない、新しい価値をつくれることをやろう、と話し始めたのが最初のきっかけです。
——なぜ、「グローバル転職」なんですか。
濱口さん:営業企画にいた僕が、半年だけ現場に戻った時期がありました。そのとき担当したお客様の一社が、すごく異色だったんです。
日本で海外向けに事業をやっている会社で、国内での認知はほとんどない。でも、めちゃくちゃいい企業でした。行くと、隣の方がロシア人でロシア語でセールスをしていたり、会議では海外市場をどう開拓するかを本気で議論していたりしました。
濱口さん:「グローバルな環境って、こんな六本木ヒルズの一角にあるんだ」と思いました。遠いと思っていたグローバルが、こんなに身近にあるんだ、という衝撃的な気づきがありました。
そのお客様の担当者も元リクルートで馬が合って、短期間で大きな成果を出すことができた。自信を持って人に勧められたんです。だからこそ、この「身近にあるグローバル」をもっと世の中に広げられるんじゃないかと思ったんですよね。
「グローバル転職といえば」の、第一想起をつくる
——これから見据えている未来を教えてください。
濱口さん:「グローバル」って、言葉がすごくふわっとしているじゃないですか。日本にいながら外国籍の方が多い会社もあれば、公用語が英語の会社もある、取引先が海外という会社もある。
多くの方が、自分のやりたいことの解像度を言語化しきれていないし、そもそもどんな環境があるのかを知らない。外資系といっても、日本法人は実際には日本語で仕事をしていることも多いんです。だから「本当の意味でのグローバルってどこにあるんだ」と、みんな探しているんですよね。
濱口さん:たとえば施工管理の転職ならこの会社、みたいに、業界ごとに第一想起ってあると思うんです。でも「グローバル転職といえば、ここ」というのは、まだ存在しない。
だから5年後には「グローバル転職といえばiloだよね」と言ってもらえる存在になりたい。まだ立ち上げて1ヶ月なので、お客様に返せる実績はこれからですが、いまは「なぜこの領域なのか」「自分たちがやる価値は何か」を、まっすぐ届けていきたいと思っています。
挑戦の、その一歩手前にいるあなたへ
——挑戦したいのに一歩踏み出せない読者へ、一言お願いします。
濱口さん:挑戦してみたい、というその気持ち自体が、本当に素晴らしいことだと思うんです。
一歩踏み出すのって、すごく勇気がいる。でもその手前に、「挑戦してみたいんだよね」と、まず誰かに伝えてみるというステップがあると思います。それだけで、けっこう景色が変わるはずなんです。
濱口さん:僕はその挑戦を、キャリアやお仕事という形で支援できたらと思っています。いまはグローバル転職をやっていますが、いろんな業界・業種もご紹介できます。
「ざっくりキャリアに迷っている」くらいの方でも大歓迎です。気兼ねなく、周りの誰かに、そして僕に相談してみてほしいなと思います。
相談はこちらから。
https://timerex.net/s/ryuta.h_147d/6a99fb6e/
挫折を「仮説が間違っていた」と言い換え、会ったことのない祖父の背中を追い続ける。濱口さんにとって挑戦とは、完成された姿を見せることではなく、未完成のまま一歩を踏み出し、それを誰かに伝えることなのかもしれない。遠かったグローバルを、少しでも身近な景色に変えるために——その挑戦は、まだ始まったばかりだ。
会社概要
会社名:株式会社ilo
代表取締役:濱口 隆太
事業内容:グローバル転職を希望する方向けの人材紹介事業
取材:河本龍真 文:佐藤大遥(株式会社One Rep)
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