2026.10.14 / ぶち上げインタビュー
【経営者インタビュー】「怖さは一割、あとは全部ワクワクでした」——Jリーガーになれなかった男が、ドイツでプロになるまで。堀内徹さん

「日本には、サッカーをやめなければならない、と思っている人が、たくさんいるんであす」。 サッカーの外部指導から海外留学支援、スクール運営まで——「アスリートの価値を最大化し、世界一アスリートに寄り添う会社」を掲げ、サッカー事業を中核に据えて事業を展開するのが、堀内徹(ほりうち・てつ)さんだ。 4歳でボールを蹴りはじめ、名門・横河武蔵野を経て実践学園でサッカー三昧の高校時代を過ごした。しかし小学6年、同世代がプロへと駆け上がっていくなか、彼だけが東京選抜の選考に落ちる。無能感に打ちのめされた少年は、やがて「今のままじゃまずい」という焦燥だけを頼りに、20歳で大学を飛び出しドイツへ渡った。 Jリー
この記事の要点
- 01ただ、妻も子どももいて、「これ以下のオファーは受けない」というボーダーは自分で決めていました。
- 02年齢的にも目標に届きづらくなって、だったら早めに泥水を吸って失敗したほうがいい、とビジネスの世界に入りました。
- 03堀内さん:共同経営しているメンバーが、みんな海外で挑戦してきた仲間なんです。
※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。
アスリートに、世界一寄り添う——いま手がけていること
——まずは、いま手がけている事業を教えてください。
堀内さん:サッカーの外部指導が中心で、グループもパーソナルもやっています。
それから、ヨーロッパへのサッカー留学のサポート。ドイツやオーストリア、ブラジルなんかも含めて、留学を叶えたい選手を送り出しています。
あとは大会や遠征を組んで、練習試合をやった後にそのままプロの試合を観に行く、みたいなパッケージのイベント運営。英語も学べるサッカースクールや、パーソナルトレーニングもやっています。
——サッカー以外の事業もあるんですよね。
堀内さん:はい。営業代行と人材紹介が大枠であって、個人で講演や通訳も請け負っています。
ただ、個人の収支で見ると、サッカー事業が3割で、残りの7割は個人の営業代行や人材紹介です。掲げているのは「アスリートの価値を最大化し、世界一アスリートに寄り添う会社」。今はサッカーが中心ですけど、これから国も競技も、どんどん幅を広げていきたいと思っています。
東京・日野の、やんちゃ坊主
——どんな子ども時代でしたか。
堀内さん:出身は東京都日野市です。周りと比べると、割と裕福な家庭だったと思います。好きなものを買えたし、食べられたし、困ったことがなかった。
上に3つ上の姉がいて、下に弟がいました。まあ、やんちゃ坊主だったみたいです(笑)。小学校までは完全に、地元の井の中の蛙でしたね。
——サッカーを始めたきっかけは。
堀内さん:これ、母親に聞いた話なんですけど、要は「暴れて疲れて、寝てほしい」と(笑)。公園だけじゃ暴れ足りないから、幼稚園の習い事でスイミングかサッカー、どっちやる?と聞かれて、何も考えずに「どっちもやりたい」って言ったらしいんです。
父は高校まで野球をやっていたんですけど、気づいたら僕がサッカーを好きになっていて、父にキーパーをやらせていました(笑)。弟や姉の友達ともよくボールを蹴っていたので、小学生の割にはうまくなったのかなと思います。小4まではスイミングと両立して、そこからはずっとサッカー。だから4歳からですね。
サッカー三昧の6年間——横河武蔵野、そして実践学園
——中学、高校はどんな環境でしたか。
堀内さん:中学は東京の横河武蔵野です。三鷹の駅の近くで、ヴェルディやFC東京には勝てなかったけど、東京ではレベルも高く近年では全国で結果も出している名門で、すごく楽しかったです。接骨院にも毎日のように通って、3年間お世話になりました。もう、ホームみたいな場所でしたね。
高校は実践学園で、ちょうど高尾に校舎ができた一期生でした。月曜から水曜は中野坂上の校舎で授業を受けて、1年生は終わったら走って中野まで行って、中央線で高尾まで移動して練習。木曜から土曜は高尾校舎に通って、授業のあとは目の前のグラウンドでサッカー。日曜は試合。本当に、サッカー三昧の一週間でした。
自分だけが、落ちた
——学生時代の一番の挫折は。
堀内さん:小学6年生ですね。東京選抜に選ばれて、そこからレベルごとに一軍二軍に分かれるんですけど、僕はどっちも落ちてしまった。
同じ軍団には、後に日本代表の10番をつけた選手をはじめ、プロになった選手が10人、20人といました。その中で、僕だけが落ちた。あの悔しさと無能感が、初めて鼻をポッキリ折られた経験でした。そこからの中高6年間は、ずっと挫折の連続だったと思います。
膝の手術、そして休学——「このままじゃまずい」
——高校卒業後の進路は。
堀内さん:埼玉の城西大学に進みました。ただ入学早々、高校の選手権前にやってしまった膝を手術して、リハビリからのスタートでした。
12月に復帰して、1月にはトップチームに上がれたんです。でも、サッカーをやってる人からしたら「そんな簡単なわけがない」と思うはずです。逆に、こんなパフォーマンスで上に行けてしまう環境がまずいな、と焦りました。
——そこから、海外挑戦を決めた。
堀内さん:3年の夏、20歳のときに休学して、後に中退しました。当時は今ほど海外が当たり前じゃなくて、情報もなかった。
でも「今のままじゃまずい」という焦りがあって、環境を変えるしかなかった。大学は移籍できないし、国内リーグからプロになれる気もしなかった。だったら海外しかない、と思いました。行くしかなかったし、行くべきだと思っていました。
怖さは一割、あとは全部ワクワク——ドイツでの約10年
——海外に飛び込むとき、怖さはなかったですか。
堀内さん:怖さは一割くらいですね。あとはほぼワクワクでした。
日本ではテレビに映るような選手じゃなかったけど、向こうでは地元の新聞に「日本人がやってきた」と載ったりしました。アジア人が僕一人だけ、という町にもいました。フォワードじゃなかったので、3点取ってヒーロー、みたいな派手さはなかったですけどね(笑)。
——現地で一番苦労したことは。
堀内さん:やっぱり言語と、評価基準の違いです。向こうは気性が激しくて、理不尽なことでも主張してくる。それを言い返せるかどうかで、プレーが全然変わるんです。
日本みたいに「察する」文化がないので、喋れない=やる気がない、主張できないやつ、と見なされてしまう。やる気を見せても伝わらない。その伝えられないジレンマのストレスは、すごかったですね。
でも、あの経験がなかったら、たぶん平凡で一般的な人間になっていた。自分で選択して、自分で歩んだ。唯一、胸を張れる経験です。へこたれない、行動さえ止めなければなんとかなる、という感覚も、あそこで身につきました。
30歳、20歳の上司——ゼロからのビジネス
——サッカーはいつまで続けたのですか。
堀内さん:29歳、30歳になる前に引退しました。僕はそんなに市場価値の高い選手じゃなかったので、選べる立場じゃなかった。
ただ、妻も子どももいて、「これ以下のオファーは受けない」というボーダーは自分で決めていました。年齢的にも目標に届きづらくなって、だったら早めに泥水を吸って失敗したほうがいい、とビジネスの世界に入りました。
苦労も、悔しさも、良い方に
——ビジネスは順調でしたか。
堀内さん:いやいや、最初から最後までお荷物だったと思います(笑)。まず何をすればいいかわからなくて、自分探しみたいな期間もあった。
いろんな経営者に聞くと、7〜8割が「まず営業をやれ」と言われました。それで社長の近くで学べる少人数のベンチャー、営業支援の会社に入りました。10年海外にいたぶん、実力もないのに上司に物申しちゃうような、ちょっと"向こうかぶれ"なところもあって、苦労しました。
当時、上司が20歳。僕は30歳です。でも、そこは悔しさより良い方に捉えられました。海外では18歳が36歳の胸ぐらをつかむ世界だったので、年齢は関係ないな、と思いました。その上司とは今でも仲が良くて、彼が独立したときに「一緒に頑張りましょう」と連絡をくれました。心をオープンにして接していたからこそ、築けた信頼関係だと思っています。
同じ志の仲間と——世界へ
——いまは、どんな仲間と会社を。
堀内さん:共同経営しているメンバーが、みんな海外で挑戦してきた仲間なんです。青森山田が日本一だった世代でスペインでプロをやっていた選手もいます。僕が経営しているソサイチチームからは、ムラッシュFCやソサイチ日本代表に選ばれた選手も出ています。
僕はドイツ、彼らはスペイン。海外で理不尽を乗り越えてきた、という志が同じなんです。だから会社として、次のワールドカップに一緒に行こう、と決めています。同じ景色を本気で目指せる仲間がいるのは、本当に心強いです。
サッカーを、やめなくていい世界を
——事業を通じて成し遂げたいことは。
堀内さん:日本には「サッカーをやめなければならない」と思っている人が、たくさんいます。でも海外では、アマチュアでも、お腹の出たおじさんでも、サッカーをやりながら勝利給がもらえて、お金が動く。
お金や家族を理由に辞めるんじゃなくて、その人たちを巻き込んで、一緒にサッカーを楽しもうよ、と。仲間を増やして、人生をエンジョイできる場所
——サードプレイスをつくりたい。心も体も豊かに、ワクワク生きようよ、と思っています。それが最終地点で、いまは一歩目、二歩目を踏み出しているところです。
——どんな人の力になりたいですか。
堀内さん:ドイツやオーストリアに留学して、夢を叶えたい選手。次のステップに進むために、1年、2年とコミットしたい選手や指導者。
小学校低学年なら、英語も学べる、ちょっと変わったサッカースクール。親御さんにはよく話すんですけど、サッカーを通して人として独り立ちできる、人間教育のできるサッカーを届けたい。あとは、そんな夢を一緒に応援して共闘してくれる企業や行政の方とも、組んでいきたいです。
そんな僕でも、できた——一歩を踏み出せないあなたへ
——挑戦の一歩手前にいる読者へ。
堀内さん:結果を出した人が「なんとかなる」と言うと、「いや、あなたはお金があったじゃん」「実家が太いんでしょ」って、ひねくれて受け取ってしまう気持ち、僕もわかるんです。
でも、日本代表にもなっていないし、テレビに出る選手でもなかった。学力もない。そんな僕でも、いまワクワクして生きられている。素敵な出会いも、繋がりも、どんどん増えている。
だから、中途半端じゃなくて、思いっきり一歩を踏み出してみてほしい。もしどうしても不安なら、Instagramにメッセージをくれれば、誠実に返します。
——最後に、これまで関わってくれた方へ。
堀内さん:まず、ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
僕は、人との出会いや、手を差し伸べてもらったこと、切磋琢磨してもらったことで、いまがあります。きれいごとじゃなくて、今まで出会った方々がつくってくれた僕なんです。
だからいまは、その恩送り、恩返しのために、ワクワクしながら仕事ができています。本当に、ありがとうございます。
Jリーガーにはなれず、日本ではメディアにも載らなかった一人の選手が、異国で約10年を耐え抜き、いま「アスリートに世界一寄り添う会社」を掲げている。堀内さんの言葉には、誰かを羨む響きがない。あるのは、自分で選び、自分で歩いた者だけが持つ、静かな確信だ。サッカーを"やめる"のではなく、"楽しみ続ける"世界へ。その一歩目は、もう踏み出されている。
会社概要
事業内容:サッカーの外部指導(グループ/パーソナル)、ヨーロッパ(ドイツ・オーストリア・ブラジル等)へのサッカー留学支援、大会・遠征・プロ観戦を組み合わせたイベント運営、英語も学べる人間教育型サッカースクール、パーソナルトレーニング。加えて、営業代行・人材紹介・講演・通訳。
理念:アスリートの価値を最大化し、世界一アスリートに寄り添う会社
取材・文:河本龍真(株式会社One Rep)
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