2026.10.28 / ぶち上げインタビュー

【経営者インタビュー】「受かるために就職する」が嫌で、海外に飛んだ。ドベの新人が全国1位を経て、"才能を見つける"コーチになるまで

「受かるために就職する」が嫌で、海外に飛んだ。ドベの新人が全国1位を経て、"才能を見つける"コーチになるまで

どうも、One Repの河本です。 今回お話を聞いたのは、ジェイさん。 本業は東海エリアで人材紹介のエージェント、副業で"才能を見つける"ことに特化したコーチングをやっている方です。 オーストラリアで皿洗いからシェフになった話、リクルートで同期にバカにされるくらいのドベから全国1位になった話、そして「キャリア迷子の大人をなくしたい」という今の想いまで。 1時間、ずっとおもしろかったです。

この記事の要点

  • 01そこを明確にしてあげると、"やれる気"みたいな自信が高まって、今と違うことにチャレンジする決断と行動量がすごく加速するんですよ。
  • 02でも中途採用の媒体は単価が高いんで、お客さんの本質的な課題にアプローチして、未来をイメージしてもらえないと受注できない。
  • 03その教えに愚直に従い続けた結果―― 「3年目で、直販と代理店を合わせて5、6千人くらいいる営業の中で、その中途採用媒体で全国トップを取りました。

※ 人生ぶち上げch編集部が本文をもとに整理した独自の要約です。

今やっていること

――まずは今のお仕事を教えてください。

「人材紹介の両面型エージェントをやってます。求職者側は40代以上、年収600万円以上くらいのミドルハイクラスの方。企業側は大手というより、東海圏の地場の中小企業さんで、社長とか役員の方と直接やりとりしながら、事業課題に対して人をマッチングしていく。けっこうコンサルっぽい動きをしてます。」

それとは別に、副業でコーチングをやっているジェイさん。

「才能を見つけるのに特化してるんですけど、才能って、もうみんな自分の中にあるんですよ。でも人と比べて『あの人よりはできないからな』って、自信を持ててない状態の人が多い。

本来、才能って人と比べるものじゃなくて、その人が無意識にやっちゃう領域の延長線上にあるんです。そこを明確にしてあげると、"やれる気"みたいな自信が高まって、今と違うことにチャレンジする決断と行動量がすごく加速するんですよ。」

家康の街で育った、怖がりの末っ子

出身は愛知県岡崎市。徳川家康が生まれた街です。

ちなみに高校の10個くらい下の後輩が、あの東海オンエアだそうです。

「父親が製造業で、母親は山梨の小さい村の出身。5個上に姉がいる末っ子長男です。姉と歳が離れてるんで、何もやらなくても周りが勝手に全部やってくれる、甘えられる環境で育ちました。いとこも全員年上の女性で、いつも面倒を見てもらう感じ。

小さい頃の記憶で残ってるのは、お姉ちゃんと手をつないでおけば目的地に着く、みたいな。」

しかも、かなりの怖がりだったとのこと。

「幼稚園で、絵の具を手につけて塗り合うペイント大会みたいなのがあったんですよ。今思うとめっちゃ楽しそうなんですけど、怖くて行けなくて休みました笑」

今のジェイさんからは、ちょっと想像がつかないです。

「受かること」が目的の就活に違和感があった

転機は高校時代。オーストラリアからの留学生2人を、ホストファミリーとして受け入れたことでした。

「そこで異文化交流に興味を持って。で、大学卒業のとき、周りがやりたくない仕事でも『卒業したら就職しないといけないから』って、受かるところに面接に行ってたんですよ。

受かることが目的になってるのがすごい違和感で。そんなんだったら、もう就職せずに海外行くわって。」

そこから4年間、オーストラリアへ。

「最初の1年は学生で、英語は全然しゃべれなかったです。一番下のクラスからスタートしたんですけど、1年で一番上のクラスまで上がりました。日本人とも話すんですけど、常に一緒にいるのは日本人じゃない人にして、とにかく英語を使い続ける環境を自分でつくってました。」

その後はワーホリに切り替え。

東京ドーム7個分くらいの農園でブロッコリーや玉ねぎを収穫したり、イタリアンレストランでマレーシア人のシェフからイタリア料理を教わったり。

「皿洗いから始めて、最後はシェフになって、26歳で帰国しました。」

リクルートで、びっくりするくらいドベだった

日本に帰ってきて最初に入ったのが、リクルート。タウンワークなどの求人媒体を扱う部門で、営業としてのキャリアがスタートします。

そして、ここで人生一番の挫折を味わいます。

「3ヶ月の研修が終わって初めて数字を持ったとき、ダントツでドベだったんですよ。びっくりするくらいドベ。

毎朝リーダーに呼ばれて、グラフを見せられて『みんなここだけど、お前ここだよ』って。今日の行動は何?って一日の行動を細かくチェックされる。同期からも『うわ、めっちゃ低い』ってバカにされて。めちゃめちゃ嫌でした。」

それが半年くらい続いたそうです。

――その谷の時期、何が踏ん張る原動力だったんですか?

「モチベーションというより、自分のことを信じてたんですよね。『俺はここで終わる人間じゃない』って。だから、どれだけ周りに笑われても、逃げる選択はしなかった。ここで逃げるのが嫌だっただけで、あとはほんと愚直にやり続けてました。」

面倒くさがりだから、"本質"で売った

ジェイさんがおもしろいのは、ここからの勝ち方です。

部署の主力はタウンワーク。でもジェイさんがひたすら売っていたのは、中途採用向けの媒体の方でした。

「週刊の求人誌って単価もそこまで高くないし、『いつもので』みたいに行動量で売れていく商材なんです。でも中途採用の媒体は単価が高いんで、お客さんの本質的な課題にアプローチして、未来をイメージしてもらえないと受注できない。

で、僕けっこう面倒くさがりなんで、安いものを週に30本、40本売るのは疲れちゃう。だったら高単価のものを週6、7本売って達成した方が楽だなと思って笑」

そこに、「社長と本質的な会話ができる営業にならないとダメだぞ」と教えてくれる上司がいた。その教えに愚直に従い続けた結果――

「3年目で、直販と代理店を合わせて5、6千人くらいいる営業の中で、その中途採用媒体で全国トップを取りました。関東の方が大手も多くて単価が圧倒的に高いんで、中部の低単価のリテール領域で1位っていうのは、けっこう異例だったみたいです。」

ドベから、全国1位。

しかも「面倒くさがりだから」というのが、なんかすごくリアルで好きです。

リクルートのことは、今でも「最初に入って本当に良かった会社」と話していました。

「言語化すると、めちゃくちゃエフィカシーが高い人間の集まりなんですよ。賞賛の文化があって、みんなでコンフォートゾーンから出ようとしてる。『俺らってここじゃないよね、もっと上にいる存在だよね』っていう空気が社内に蔓延してる。

数字を追うのは当たり前なんですけど、それはただの通過点で、お客さんに価値を提供することが目的だよねって、数字の上にちゃんと意味が乗ってた。だからみんな、変化を恐れずに進みまくれるんだと思います。」

転職4回、ずっと営業の最前線

リクルートを3年で卒業したあとは、道路の部材を扱う土木資材メーカーの立ち上げメンバーに。営業はジェイさん1人だけ。役所や土木事務所に「新しい商品を設計に入れてください」とスペックインの営業をかけ続けたそうです。

その後、オフィス什器を扱う会社を経て、人材紹介の世界へ。

「元リクルートの社長から『人材紹介部門がずっと赤字だから、立て直しに力を貸してくれ』って言われて。社長と一緒にいろいろやって黒字化させて、その実績を認めてもらって、新しい事業部の立ち上げの営業責任者をやったり、新卒組織のマネージャーをやったりしました。」

人材紹介に携わって、もう8年くらいになるそうです。

「キャリア迷子の大人」を、入り口でなくしたい

――そこから、なぜコーチングを?

きっかけは、人材紹介の現場で見てきたものでした。

「40代以上の方の転職支援をずっとやってると、キャリア迷子みたいな大人がけっこう多いんですよ。気になっちゃって、面談のときに『なんでこうなったんだろう』ってヒアリングしてたら、傾向があって。

一社目の就職先を"他人軸"で決めてる人が、キャリア迷子になりやすかったんです。先生に勧められたから、親に『ここ行け』って言われたから、周りが内定もらってて焦ってとりあえず入った、とか。

そういう人って3年くらいで『違うな』って辞めるんですけど、次も給料がいいとか休みが多いとか、また他人軸で選ぶ。それを繰り返して、転職5回、6回で50代になる。コアスキル、あるっちゃあるけど……みたいな。」

大学卒業のとき、「受かること」が目的の就活に違和感を持ったジェイさん。

その違和感が、ここでつながります。

「こういう人たちを、どうにかなくせないかなと思ったんです。そのためには入り口、つまり若いうちにキャリアについて考える機会が必要。学校の先生はキャリアのプロではないので、そこが少ないんだろうなって。

それで高校や大学向けのキャリア教育をやりたいと思っていろいろ調べてたら、YouTubeで認知科学のコーチングに出会って。この要素を入れたらキャリア教育めっちゃおもしろくなるじゃんって思って、まずは自分がコーチングを受けたんです。」

学び始めて1ヶ月ほどで、実際に高校3年生の就職クラスで授業もしたそうです。

「満足はしてくれるんですけど、高校生って恋愛とか遊びとか部活とか勉強の方が優先順位が高くて、キャリアに臨場感がないんですよね。なかなか届ききらないなっていうのを、正直、課題に感じてました。

で、子どもに一番影響を与えてるのって、やっぱり保護者なんですよ。だったら、ドリームキラーみたいになっちゃってる大人の"あり方"から変えたら、その背中を見て育った子どもたちは『俺はこれがやりたい』って自分で人生を選べる人間になっていくんじゃないかと。それで今、大人向けのコーチングをやってます。」

200年続くお茶農家で起きたこと

今のクライアントは、35歳以上の経営層の方が中心。会社員から独立を目指している方もいるそうです。

中でも印象的だったのが、200年続くお茶農家の社長と専務へのコーチングの話。

「専務の方は、ずっと『社長になりたい』とは言ってなかったんですけど、コーチングを通して『社長になりたい』って言うようになって。社長は別にやりたい事業があったので退任して、専務に社長を譲ることになりました。会社の構図ごと変わったんです。」

さらに、社長がお茶とは別にやっている個人の事業でも、大きな変化が。

「投資系の商材なんで、営業のときに『嫌われちゃうんじゃないか』『申し訳ない』っていう気持ちでお客さんと向き合ってたらしいんです。それがコーチングを通して解釈が変わって。今は話すのがめちゃくちゃ楽しい、早く話しに行きたいって。

5ヶ月で1,200万円くらいだった売上が、単月の売上で4,600万円になりました。つい先週のセッションで、2人で喜んでたところです。」

その変化のきっかけになったのが、ジェイさんの"あだ名"でした。

「その人が本来持ってる機能を明確にしたうえで、認識しやすいようにあだ名をつけるんですよ。たとえば『余白のエンジェル』とか。他の人が聞いても何のことかわからないじゃないですか。でも言われた本人はわかるんです。

その社長には『ミスターできんじゃん』ってつけました。人を応援することにすごく長けてる人なんです。だから営業も、『申し訳ない』から『俺は応援団だから、応援するために今会話してる』に全部書き換わった。そうなると言葉のエネルギーも、進め方も、使う言葉も全部変わる。それが受注につながってるみたいです。」

才能は、人と比べるものじゃない。

冒頭のジェイさんの言葉が、ここで一気に腹落ちしました。

これから

ジェイさんは今、個人事業として本格的に動き出す準備をしているところ。

自分のミッション・ビジョン・バリューも言葉にしたそうです。

「会話するのは得意なんですけど、カメラに向かって話すのは相手のリアクションが見えないんで、正直苦手で笑 でもコンテンツを見つけてもらうのは絶対に必要な領域なんで、発信は続けつつ、コミュニティや講演みたいに人がいる場所に自分のコンテンツを置きにいく。この両軸でやっていきます。」

インタビューを終えて

怖がりで、甘えられる環境で育った末っ子が、違和感を理由に海外へ飛んで、ドベから全国1位になって、今は誰かの才能を見つける側にいる。

話を聞いていて思ったのは、ジェイさんはずっと「他人軸」じゃなくて「自分軸」で選び続けてきた人なんだなということでした。

受かるための就職はしない。ここで逃げるのは嫌だ。面倒くさいから本質で売る。

どれも、めちゃくちゃジェイさんらしい選択です。

だからこそ、「一社目を他人軸で選んでキャリア迷子になる人をなくしたい」という言葉に、すごく説得力がありました。

自分の才能がよくわからない人、今の場所に違和感がある人は、ぜひ一度ジェイさんと話してみてほしいです。

ジェイさん、ありがとうございました!

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